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第9回の企画を終えて

  第6回ぶりのバリカンでした。彼らとの関係性は他のバンドと比べて群を抜いて深いので、あらたまってどうのこうのは言う気にならないし、どうせまたすぐに一緒にやるので、書き残しておきたいこともほとんど思いつきません。  自ら客に問いかけた追加の曲のリクエストの数々を、嬉しがりながらも丁重にすべて断った中島さんを見ていて、バリカンをやれている現状を楽しんでいるのが分かるし、その思いが(バンドの持ち曲リストから)溢れ出しているのだなと、そう読み取って感動していました。  僕が打ち上げに参加した時点では(ライブ後は企画の荷物を持ち帰ったり娘を寝かせたりするために妻とともにいつも一旦場を離れます)、すでに中島さんとべんぞーさんだけになっていて、昔の感じで楽しく一杯やりました。なんとなく、この2人とはいつ会ってもこんな感じで話せるなと、そんな気がしています。  べんぞーさんが先に帰ってからは、2人で最低な話を誇張して延々話し、ゲラゲラ笑い切ってからの解散です。また、来年。

【24年8/9更新】趣旨について(Goodbye Gangsters・mamariri 定例スタジオライブ)

  「子どものいるライブを楽しむことのできる人、家庭の事情に寄り添える人が集うようなライブ作り」を目指しています。 出演者もお客さんもなんとか子どもを連れて来られるといいと思っています。もちろん、大音量・人混み・子供用設備なしなので気軽に・快適にということはあり得ませんが、問題は取り除いていく方針です。 出演者の家庭等の都合によって直前でもキャンセル又は変更が気軽にできるといい、と思っています。 来客数・盛況は大切なことですが、どちらかというと、無理なく継続していくことに重きをおいています。 喫煙は会場建物外でお願いします。建物内に喫煙スペースがあっても、お控えください。  趣旨が醸す緩さをきらう方もあるかと思いますが、企画の趣旨にご理解をいただければ幸いです。

第8回の企画を終えて

 herveilは、以前に西荻窪FLATで見た際に、轟音と丁寧な歌が印象に残っていました。  mamaririが今年の1月に発表したMVの素材の撮影をしたのが昨年の11月末のことで、その手伝いをしていたのが初対面のヒデくんでした。今年の8月にはmamaririの次作のMVの撮影があって、それにも彼は来てくれていました。特に前者の撮影については手伝ってくれた方が他にもいて、制作の中(なか)のことをよく知らずに子守りで顔を出しただけの僕がいい加減に話せるようなことではないのだから、ヒデくんの話をするために持ち出しただけの話題だとして受け取っていただきたいものなのですが、母親の制作の様子を娘に見せつつも制作手として働く方々から能天気に思われない程度の働きっぷりを醸し出しつつ、撮影の邪魔にだけはしまいと心掛けて過ごしていた者の視座から受け取ったのは、妻が、良い友達に囲まれて作業をしているという事実で、とりわけ妻の意図・思いを汲んだ頼りになる動きを続けるヒデくんの能動性には、襟を正されるようなところがありました。次作の撮影においてもヒデくんは、言われたことを手伝うという「手伝い」の基本理念を逸脱し、知見をフルに稼働させて実務をバリバリとこなし、カメラを持つことになった僕がヒデくんにこれってどうしたらいいんですかね? などと尋ねているような始末で……  mamaririは制作に関わるずいぶんのことについて「自分だけで」進めており、そうでないこともなるべくなら「自分と友達で」進めようとしているように見える。もちろん、そういったルールがあるわけではないだろうし、社会の中での制作ということになれば完全に純粋な「自分だけ」ということはあり得ないわけだから、そんな方針は成り立ちようがないか、または、活動の範囲を著しく狭める息苦しい枷となるに違いないが、「自分だけ」でやることを助けてくれる仲間がいるということは、それ自体に若干の矛盾を孕みつつも、矛盾として否定するよりむしろ必要な要素と捉えたくなる程度に心地よいものであって、結果的に「自分と友達で」成り立っているのが今のmamaririなのではないかと思う。このとき、夫である僕としてはやはり、その素晴らしい友達に感謝をしておきたいし、自分の周りのそういった仲間に思いを馳せながら、自分の制作の全体像を見直したい気になります。  herveil...

第7回の企画を終えて

 Donut Real Elephantは、僕の大学の友達がバンドを続けるために続けているバンド。というのは、歪な日本語だしお前も弾いていたことがあるわけだし、妙な言い方ではあると思いますが、本心でそう感じています。推薦が狙いならもっと聞こえの良い仕方があるのだけれども、まあでもこれじゃないか? 腹落ちのしている感じがあるし、実際に僕が思っていることではある。何より、米田には底意が伝わるんじゃないかなと思う。  とかいって、米田の想像力・思いやりに甘えて筆をサボる気でいますが、大学の友達というのは(人と場合によっては)良いものであって、同じようなことを同じような足掻き方で進めている奴が近くにいるというのが嬉しいのです。今度はあいつとこいつも集めて、また企画でもできるといいね。僕がやっているバンドだって、僕がバンドを続けるために続けているだけのバンドです。

第6回の企画を終えて

  調べてみると、baricanと共演するのはどうやら2015年8月以来のことで、2015年のそれはbaricanが企画してくれた僕らのEPのリリース・パーティーでした。  EPについて言いたいことは山ほどありますが、しまっておきたいような気もしています。自分は、十代後半から今に至るまで、バンドをやるにあたっては人に恵まれていたようにはどうしても思いきれないところがある。こういった言い方では、今のメンバーだとかの尊厳を傷つけるようなことがあるのかもしれませんが、水辺にそびえる築60年オンボロ商業ビルの地階のように、この漏水を止めたらその脇から水が漏れはじめるしそこを止めたら今度は反対側から……といった具合に、僕のバンドは幾度となく壊れかけては立て直す修繕作業を続けることに労を取ってばかりいて肝心の制作・ライブは滞っているのが常。今のメンバーに対しても、2人とも少なくとも今日までに共に過ごした時間を思うにとびきりに笑えて信頼のおける友達(先輩だろというのは置いといて)だと言い切れる反面、そういうことについて僕は半信半疑でいるから、ずいぶん回りくどい活動を今も続けています。それはネガティヴな源泉ではなく、回りくどいということは良いことであって、揺るがないでいることに対する自負が湧く根拠でもある。  baricanのみんなとは、そういった内々で考えるようなことを共有、というか共感・共鳴できるような関係で、baricanと一緒にどのくらい音楽ができているのかがかっこいい音楽をやる上での矜持・ベンチマークになっている、というとちょっと言い過ぎな気もするけど、それに近いことを胸を張って言いたいような思いがあります。  ライブ自体を振り返るものではありませんが、またやっと前に進み始めたんだなと思えた日でした。baricanにとっても多分そうだしね! そうだといいなと思います。

第5回の企画を終えて

  ハク亜キッズ アコースティック、ゲストに迎えることができてよかった。  2人の演奏と歌の良さは然ることながら、言葉(歌詞だけでなくMC・会話も含めて)に感じ入るところがあって、環さんと小出さんの意図の実際は図りかねるのはもとより具体的に理解できるようなメッセージが全言葉に備わっているわけではないのでしょうが、僕たち夫婦の企画の趣旨に寄り添ってくれるような言葉・歌であるように勝手に感じていました。というか、演奏中の娘の遊び声が気がかりでドキッとする瞬間があって、それでもそんなことは想定内といった様子で許容してくれていて、環境音をかき消すようでもないのだけれど音楽はピュアに鳴り続けている力強いやさしさみたいなものがあると勝手に、都合のよい捉え方ではありますが、そう捉えさせてもらいつつ感動していました。  ともかく、見知ったばかりの緊張があり打ち解けの手応えを得る前の解散だったのが残念でしたが、これからも繋がりが持てたら嬉しく思います。妻も友達になっていたようで、良かったね。  mamaririをいろんな人にぜひ見て欲しいです。触れさえすれば届くような音楽だと思います。企画に来てくれた人には伝わるものがあったんじゃないかな。時間が押してしまって物販時間が取れなかったのが(主催として)申し訳なかった。セカンドアルバムがどうにか浸透して欲しい。  ブログで振り返るまでに時間が経ってしまいました。企画の日はとにかく終日通して慌ただしく、裏には年末にふりかかってきた期限ものの仕事に追われ生活の大切なアレコレを疎かにせざるを得ないような慌ただしい状況があり、自分のバンドも色々あったような気はするが覚えていない、そんなくたびれた一日でした。今ようやく振り返っておかねばと、書き終えたところです。  次はバリカンです。よろしくお願いします。

第4回の企画を終えて

 今日は、ご来場いただきありがとうございました。  何も言わず来てくれる友達だったり、声を掛ければ来てくれる友達だったり、来れなくてもまた誘ってとか近いうちにご飯でもだとかのこれからを仄めかしてくれる友達だったり、そういった繋がりがまだ保たれていることを確認できるきっかけ、というのがライブの一面であるように思います。また、それで集まる場に音楽があるということが、僕にとっては大事なことです。  ある後輩は、当初は登山の用があって来られないのだと残念そうに説明してくれていましたが、「思ったより早く下山できた」と、その足で駆けつけて顔を出してくれました。こういったことが起こるから、僕は、ライブをやる意味だとかについて悲観するような虚しい時間を過さずに済むことができているのだと思います。  娘は、2バンドそれぞれ長めのセットの間、とてもよく頑張って、じっとステージを見つめていました。馴染みの曲で踊れるようにもなった。好きな大人の友達(?)とも会えてえらく嬉しく楽しい様子ではありましたが、1日を通しての頑張りを妻も僕も見ています。さぞかし疲れたことだろう、偉かったね。今日、バスドラを踏めるようになったね。  帰り道、妻の提案で、大好きなフライドポテトSサイズを買って、娘はわくわくした様子で「これには何が入ってるんでしょうか?」などとおどけて言いながらその紙袋を抱えて歩きました。  mamaririは、自分の内でいったんの区切りをつけてからの長いこと、蓋をして仕舞ったままにしておいたけれど突然たまに思い返して恋しくなるような大切さのものを、意を決して引っ張り出してきた(それも区切り以前から見知った友達の前で)ような緊張を感じさせる演奏で、それは舞台の高さに緊張してしまっているのが伝わる……というものではなく、むしろ落ち着きはらった佇まいをもってこちら側へ丁寧に緊張を手渡してくるような、そういうものだったように思います。経緯を知る人には、または、同じような経路を辿る人には、分かるものがあったのではないか。  ベース藤森さんとドラム山浦くんのコンビは良いなと、改めて感じながら、楽しみました(娘と一緒に遊んでくれてありがとう、僕も妻も娘も救われました)。  April Girlにこの企画での初めてのゲストとして声をかけていましたが、体調不良で参加ができませんでした。残念なのはもちろん...